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CIMG3122.jpg 昨日で東日本大震災から10年が経過しました。実は10年前に当社の現場監督を連れて被災地に行きました。
 その時、新建新聞社のPLUS1に寄稿した記事の文章を掲載します。
 震災から4ヶ月余りが過ぎようとしている。テレビもラジオも新聞も週刊誌なども被災地の状況を争うように伝えている。
少し離れた東京にいても「がんばれ」「ひとつになろう」「負けるな」なという企業メッセージが街中に踊っている。
被災地では、一瞬で暮らしと言う名の袋の底が抜けてしまい、今もなお先が見えない生活を余儀なくされていることは周知の事実である。
こんな状況下では、必ずと言ってよいほど「神は人に乗り越えられない試練は与えない。だから頑張って。」と誰かが言う。しかし、家も家族も仕事も失った人の前ではこれらの言葉に無力感さえ感じでしまう。仮に私たちに向かい「はい、がんばります」と答えてもらったところで、表面的な言葉とは裏腹に現実との溝は埋まることがない。ただただ、途轍も長い時間にしがみつきながら、今日より明日、明日より明後日を積み上げていくしかできないのではないだろうか。
 震災後暫くして多くの芸人やスポーツ選手、さらに歌手の方々が被災地を慰問に訪れているという。避難所でネタを披露し、子供たちとスポーツを楽しみ、さらに歌を披露して義援金を集めたり、その活動は日増しに活発になっているようだ。私たちにできるのはこれだけ、と僅かな時間でも被災地と寄り添うことを選んだボランティア活動の輪に感動した。
 3.11以降は東京にいても、様々な対応に追われて過ごした。
いや、忙しさを理由にして、現実から目を背けていただけかもしれない。今までは神戸の地震の時も、中越地震の時も大規模な震災がある度に現地に足を運んできた。しかし今回は違っていた。未曾有の自然災害と相次いだ余震、さらに追い討ちをかけた原発事故、首都圏も被災地と言わんばかりの風評や都市機能の脆弱さとインフラへの不安に巻き込まれ、実際はただうろたえていた。
 家づくりに携わる者として、被災地の状況を目の当たりにすることは、今後の住宅建築の実務に役立つはずだ。工務店経営者としてできる限り多くの社員と被災地へ同行し、被災地を視察しなければという思いが時間の経過とともに湧き上がってきた。そして6月上旬、ようやくスケジュールが固まり、当社の現場監督7人と共に被災地へ向かった。
津波被害が大きかった宮城県女川へ向い、石巻市内を流れる旧北上川を渡ると、地盤沈下や切り立った崖が崩れている様子や津波で流され、電柱やブロック塀に乗り上げ、放置されている車両の数々、また地盤沈下のため満潮時になると道路の一部が冠水し、通行止めになるほどだ。車を進め、内海のため津波被害をあまり受けなかった万石浦を過ぎ、緩やかな坂道を越えた辺りで景色が一変した。海から数10メートルの高さはあろうかと思える場所に建っていたはずの木造の住宅が、基礎と土台を残したまま架構ごと無くなっていた。また1階を津波が通り抜けた家の中には瓦礫や流された車が、そのまま入り込んでいる。
2021/03/12(金) 13:34 家づくり PERMALINK COM(0)
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