さらにもうひとつ僕の背中を押すことになったのは2011年3月11日のあの出来事だ。
被災して数週間が過ぎてもなお東日本全体がこのままどうなってしまうのだろうと誰もが感じたことだと思う。
当時は「想定外」という言葉が世の中に蔓延していたが、僕自身も工務店経営者、中小企業経営者の端くれ者として、万一の時の想定を意識せざるを得ない心理状況になっていった。
あの時ほど人間の無力さを思い知らされたことは無かった。余震が相次ぎ、不安な日々を過ごしていたが、何となく漠然とした意識の中で少し離れた場所に「第二の拠点」があればというイメージが芽生え始めていた。
だから不意に「場所はここではない」と言われても、本当は「大きなお世話」くらいにしか考えていなかった。
その不動産業者がセカンドベースを訪れてから数年が経過し、正月休みを利用して、僕は軽井沢駅北口の広場にいた。
調べてわかったことだが、軽井沢を訪れる観光客は年間850万人、別荘建築数はピーク時で400棟、少ない年でも300棟は下らない。
人口2万人程度の町にこれほどの住宅建築需要があることに改めて驚いた。
この目で確かめに行こう。
もちろん僕の背中を押したのは、「場所はここではない」という、あのひと言だった。
(つづく)